Growth Mindset¶
心理学者キャロル・S・ドゥエックによって提唱された2種類のマインドセット
成長マインドセット(growth mindset) :能力は努力次第で伸びるものであり、最善を尽くす努力をすることに意味がある
固定マインドセット(fixed mindset) :能力は変化しないものであり、学力が高い人は能力が高いということである
| Growth Mindset | Fixed Mindset |
|---|---|
| 能力は伸ばせる | 能力は生まれつき決まっている |
| 失敗=成長のチャンス | 失敗=自分には才能がない証拠 |
| 努力は成長の鍵 | 努力が必要=才能がない |
| 挑戦を歓迎する | 失敗が怖くて挑戦を避ける |
❌ Fixed:「自分は頭が悪いんだ」
✅ Growth:「まだ理解が足りなかっただけ。次はやり方を変えてみよう」
素直であれ¶
誰かからのフィードバックは成長のための貴重な情報源だが、素直さが無くてフィードバックに対して不貞腐れると成長できない
オーナーシップ / 当事者意識¶
「オーナーシップ」 :与えられた仕事や課題に対して、当事者意識を持って取り組む姿勢やマインドのこと。
「ラストマンシップ」 :差し迫った状況でも自分がどうにかする気概や、責任を取る精神を意味する和製英語。
(関連) 「自分ごと化」 :与えられた仕事や課題を(他人事ではなく)自分事として当事者意識をもつこと
自責思考¶
なにか問題があったとき、他責(他人のせいにする)のではなく、「 自分ができることはないか? 」と考える考え方のこと。
自分を責めるというより、 自分がコントロールできる部分とできない部分を切り分け、自分がコントロールできる部分にフォーカスする。
(⚠️「自分を責めること」だと考えると自分で自分のメンタルを傷つけるだけなので注意)
「上司が悪い」「部下が悪い」「客が悪い」などは 解釈(受け止め方)次第 。「自分ができることはないか?」に焦点を当てる。
とにかくやれ¶
やる気が出ない、先送りしたい、・・・
→ 言い訳せず、とにかく行動する
実際、よく勉強方法の本などで言われることではある。「まず1ページだけ読んでみる」というように、気が重くても体を動かして行動を開始すると、次第にやる気が出てくることも。
自分がやりたい仕事と違っていても、目の前のタスクに取り組む¶
スティーブ・ジョブズの「Connecting the dots」:過去の経験が、ひとつひとつは関係ないように見えても、後から振り返ると線でつながって見える。
特に新卒入社した会社で「思ってたのと違う…」となっても、腐らずに真面目に取り組むことで成長でき、あとから振り返ると「いい経験だった」と思うこともある。
また、キャリア論では、よく「スキルは掛け合わせ」と言われる。少し思ってたのと違うタスクでも、かえってそれが自分に新たなスキルを齎し、キャリアにとってプラスに働くことがある。
例えば、「大学院で因果推論を学び、因果推論をビジネスで使いたくて入社したが、画像処理のプロジェクトにアサインされた」→「因果推論も画像処理もできる人」になれる
IQよりEQ¶
EQ(心の知能指数)とは
自分の感情を理解し、適切に管理できる力
他者の感情や視点を理解し、共感できる力
周囲を巻き込み、信頼を作る力
のこと。特にリーダーとしてチームを率いていく場合、EQはとても重要
目標を立て、日々の改善を積み上げる¶
「思考は現実化する」というのは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーや京セラ創業者の稲盛和夫などの起業家が主張する精神論。
目標を高い解像度で見据え、実現する姿をイメージし、それに向けて日々の改善・成長を積み上げていく ことで、高い目標も実現できるというもの。
「ただの精神論かよ」と軽く見られがちだが、目標を持たずに無為に過ごしていても大きなことを成し遂げられるとは思い難い。バカにせず取り入れたほうが賢明だろう。
(参考:ナポレオン・ヒル (1989) 『思考は現実化する』、稲盛和夫(2002)『生き方』)
❌️ 成長しにくいマインドセット¶
ベンチャー界隈などで嫌われるマインドセット
(※成長こそがすべてとも限らないので必ずしも悪いわけではない、その人の目指す方向性次第で善悪は変わる)
他責思考¶
オーナーシップ・当事者意識・自責思考とは逆の考え方
Quiet Quitting(静かな退職)¶
Quiet Quitting(静かな退職) :仕事に対する熱意はなく、基本給のために最低限の仕事だけをする考え方
【「静かな退職」が日本を救う】「勤労屋」の対極が「静かな退職者」 - YouTube
費用対効果の少ない仕事はやめて、ヨーロッパのような「Job descriptionに書かれたことだけやる」「定時になったら客が居ても店を閉める」がむしろよいのでは?という主張もある